かつて私は「男らしい」「女らしい」という言葉に、強い嫌悪感を抱いていた。人々が軽々しく口にするその区分に、ひどく敏感だったのだ。
けれど、高校一年の終わりごろ、自分がゲイであると自覚し、「男でも女でもない、まったく別の生き物である」という考え方に切り替えた瞬間、不思議なほどにさっぱりとその嫌悪感が消え去った。
振り返れば、あの頃の私の”男らしさ”や”女らしさ”に対する嫌悪の根っこは、自分の内面が女性的であると本当はわかっていながらもなお「自分はあくまでも男だ」と無理に思い込んでいたがゆえの苦しみだったのだろう。結果、人々の言う世間一般的な”男らしさ”から逸脱している自分が、そうではないのに人々から逐一否定されているように思えてしまい、どうしてもそれが許せなかったのだ。
しかし「自分は男ではないし、女でもない」と認識するようになったとき、肩の力が抜けるように生きやすくなった。それまでのように性別に縛られる必要はなくなり、「男らしさ」や「女らしさ」の話題も、今ではむしろ楽しんで語れるようになった。なぜなら私は、それらの区分からすれば“はずれ者”だからだ。
もちろん今でも”男らしさ”や”女らしさ”に関する話題には敏感であることに変わりはない。ただ、その敏感さはかつての自己否定感からではなく、あくまでも”創作に活かすため”であり、それ以上でもそれ以下でもない。自分は”はずれ者”であるという立場を受け入れたことで、それに縛られなくなるどころか、とても自由に、自らの意思でこれらのテーマを探求できるようになった。
今の私は、そういう意味ではすごく幸せである。生まれてから17年も続いていた自己欺瞞のひとつを、ついに解消できたのだから。