
注意事項
性的描写・暴力・残酷表現が含まれます
あらゆる差別を助長する意図を持って描かれたものではありません
特定の個人、団体を誹謗中傷する意図はありません

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彼が選び取った生き方、死に方、それは、善いものだったのでしょうか。それとも、悪いものだったのでしょうか。
考えあぐねてはみたものの、あいにく私は、そんなに頭が良くはなく、善し悪しの判断にいちいち複雑な基準を設けていると、頭がぱあになってしまいます。
ですから、私にとっての善し悪しを判断するための基準は、ただひとつ。
自分にとって美しいか、美しくないか、それだけなのです。
それを踏まえると、私にとって、彼の姿は、本当の人間の姿は、その残酷さは、あまりにも美しい。一度頭に浮かんでくると、もう他のものがすべて頭から追い出されてしまうくらいには、心をひいてやまないものです。
それが何故なのか、理由はいくつも思い浮かびますが、その一つは、彼の姿が現実には存在しえない、いや、時のきまぐれで一時的に幻影として映し出されることはあっても、やはり永続的に存在することが決して不可能であるからなのです。
つまり、儚いものだからなのです。
時がつくりだした奇跡であるからなのです。
彼の姿は、虚無のなかにふっと生まれたかりそめの生命、めざすべきどのような正当さももたない欲望、真の人間の姿、そのものなのです。
社会の長い連鎖に未だにつながれない、孤独で自由な眠り、そう、眠りなのです。
眠りだからこそ、目覚める時は、必ずやってくるのです。
生まれるということは、まさに目覚めること。
否応なしに、自分が社会に所属した存在であると認識させられるということなのです。
この世の誰しも、かつては彼と同じようであった筈です。生まれる前、まだ眠っていた時は、生への欲動(つまり、死の欲動)以外の何をも内包しない、純粋な生命、人間、セックス・ドライブそのものであった筈です。
そうであったからこそ、純粋に、生きること(死ぬこと)だけをを希求していたからこそ、力を振り絞って、生まれてくることが出来たのでしょう。
そういうふうに自分を追いかけた結果、かえって自分を隠さないと生きられない社会に目覚めることになるとは、本当に皮肉なものです。
けれど、あの頃の感覚は、頭では忘れていようとも、私たち、この地獄でぼやく幽霊の魂に、その神髄に、今なお染みついているのではないでしょうか。
だからこそ私たちは、あるときふっと、あの頃と、人間だった頃と同じものを、二度と繰り返し得ぬ、その一度限りなるものを、再び追い求めたくなるのでしょう。
死の淵にさらされる恐怖を。
その中で純粋に生きる喜びを。
だからこそ、私たちは思うべきでしょう。思想として、選択として、「滅亡」を選ぶことの、むなしい、けれど、輝かしい勇気を。
すべてを捨ててしまうこと、それは、決して支離滅裂な選択ではない筈です。
ただ、あのころの姿を、純粋な生命を、人間の本当の姿を追い求めたいという思想に基づく、至極真っ当な選択、人間そのものの本質を希求する「美」の体系そのものなのだと、思うのです。
『ぼくの終わりへの旅(未完)』あとがきより