こんにちは。社会不適合者です。 – 2025年3月26日

いつ頃だったか定かではない。

けれど、物心がついてからそう遠くない時期に、私は、“自分=異分子である”と、つまり、“自分=社会における外れ者”であると、ふいに自覚したのだ。

そのように自覚するに至った表向きの理由は、“自分が同性愛者で、周囲が異性愛者であるという、自分と周囲の間の(私にとっては)大きな相違の一つに気づいたから”だったのであるが、そんなものはあくまでも表向きの、後付けの理由に過ぎなかった、と今では思っている。

真実は簡単には目に見えない、もっとずっと深いところにあって、そのブラックボックスの中身すべてを見ることは、たとえ私本人であっても不可能なのだろう、と感じている。

けれど、それでも、私というブラックボックスの中身の、出来る限り多くを把握していたいと、そのために、出来る限り広い視野を保っていたいと、私は思う。

問題をセクシュアリティだけに矮小化すると、その範囲外の、本来見えていた筈のものが見えなくなってしまうような気がして、自分で自分を取り逃しているような気がして、嫌になる。

けれど、そんなのは甘い理想でしかなくて、実際の私は、自分の抱える心理的な問題の多くを、自身がセクシャルマイノリティであることのせいにして片付けてしまっている。

だって、そのほうが楽だから。

本来自分自身で抱えるべき問題であっても、それを放り出して他の誰かや何かのせいにしておけば、つかの間は楽になる。

勿論、そういうふうに誰かや何かのせいにした分だけ、その先の何処かで手痛いしっぺ返しを喰らうことにはなるだろうけれど。

だいぶ話がそれてしまったが、話題を異分子感に戻そう。

きっと、この“異分子感”を感じたことがあるのは、私だけではあるまい。

今でもそのときのことを覚えているかは別として、世の中のすべての人々が、生まれてから少なくとも一度は感じたことがあるはずだ。

それは、どんな人間だって、社会という枠組みにおいては、最初は異分子だからだ。

多くの人々は、やがて社会に溶け込んでいく術をなんとかして覚えていくものだから、この“異分子感”を感じたときのことなんて覚えておく必要も無いだろう。

むしろ忘れてしまった(正確には、自らその記憶を封印して、その封印の存在すら忘れてしまった)ほうが、社会生活を送るうえでは何かと都合が良い。

けれど、ある時、何かのはずみに、自分がかつて自分自身に施した封印の存在を再発見してしまって、その存在が四六時中脳裏にへばりついて離れなくなってしまった人や、もはや最初から封印のしようがなく、常に異分子感が脳裏に溢れ出している人(注:私のことです)は危険である。

このような、“異分子感を拭いきれない人間”には、もはや安寧は訪れない。

一度社会に適応できたつもりになっても、そう時間のかからないうちに、自分の中にわだかまる違和感から目を背けられなくなり、社会から転落していく。

その衝撃を全身で受けてしまって、もう再起不能に陥ってしまう人もいれば、そこからなんとか這い上がり、社会の中のまた別の場所に登っていく人もいるだろう(一度転落してしまうと、以前と全く同じ場所にはどうにも登れなくなってしまうものである)。

けれど、何回登ろうが同じこと。

結局、また何処かで転落し、またその衝撃に打ちひしがれ、しばらくの後にまた放浪の旅に出なければならなくなる。

そう、私たちは死ぬまで放浪者だ。

私たちは、きっとこの異分子感を拭えない。

多くの人間が社会に適応して異分子の枠組みから脱却していく中、我々はずっと異分子のままなのだ。

ごく少数かもしれないが、そういう人間も世の中には一定数いて、私もその一人である。

常日頃から己の輪郭の定まらなさに血反吐を吐くほど苦しみ、自分なんて自ずから構築していくものであると理解していながらも、愚直な自分探しに走ってしまう私であるが、この、“私は永遠に、異分子である”という感覚だけは、物心がついた時から、はっきりとした輪郭を維持し続けていて、全くぼやける気配がない。

むしろ、以前よりもっとずっとはっきりしてきたように思える。

というか、もはや、今の私に残ったものはこれだけだ。

こんなろくでなしの私が自分自身に対してはっきりと確信できる事柄なんて、これ以外に何があるだろうか。

話は変わるが、全ての人間に対して必ず与えられるといわれる”死”の概念に対してすら、私は、”私はいつか必ず死ぬ”という確信を抱けていない。

そもそも私にとって、”死”とは”無”だ。

自分という存在がブラックホールのような無に吸い込まれて、跡形もなくきれいさっぱり消える。

そこでパタリと全てが終わる。

それ以降は何もしなくていい、何も感じなくていいいという最高の救済、それが私にとっての”死”という概念なのだ(こういう極端な考えに走るのは、私にとっては死後の世界(無)より、生前の今のほうがよほど地獄だからだ)。

しかし、私が死んだとしても、私の近縁者は、私のことを覚えているだろう。

もし近縁者が一人もいなかったとしても、生前に出会い名を交わした人々の内、何人かは私のことを覚えているかもしれない。

いや、もしもこの世の誰も私の名を知らない状態で私が死んだとしても、「通りすがった人」「レジの前にいた人」「あそこの部屋に住んでいた人」などとして、もう本人が一生思い出さない(思い出す必要がない)ような、脳髄の奥深くには刻み込まれているのではないか…。

話は何も、このような他者の領域に限ったことではない。

例えば、私があの日蹴ったあの小石、あの小石は、今でも私が蹴ったあとのあの場所にあるかもしれない。

あるいは、また別の誰かが蹴って移動したかもしれない。

道路工事で掘り起こされて、地中深くに埋められたかもしれない。

洪水によって流されて、あちこちにぶつかって、形が削れて変わっているかもしれない。

あるいはもう粉々になって、小石の体を成していないかもしれない。

けれど、そのすべての道筋の前段階に、”私が小石を蹴った”という動かしようのない事実がある。

これがなかったとしたら、今の場所に小石(あるいは小石だったもの)は無い。

同じ名称の道筋を辿ったとしても、その道筋は、”私が小石を蹴った”場合の道筋とは、全く異なるものだ。

小石に限ったことではなく、この世界のすべての物質、すべての原子は、これまで生まれ死んでいったすべての生物が関わったからこそ、今まさにその場所に存在しているのだ。

この世界の沿革は、それらすべての生物によって地層のように積み重なっている。

もちろん、その中に私も、あなたもいる。

けれど、その地層は未来永劫不変である。

一度積もった私の痕跡は、永遠に消えることはない。

…と、これ以上はキリが無くなるのでやめておくが、つまり、私にとっての”無”の真の意味とは、”私の痕跡のすべてをこの世界から消すこと”、つまり、”私なんて最初から存在しなかった世界線にする”ことなのである。

もちろんそんなことが絶対に不可能なのはわかっているし、第一、今の私は流石にそこまでの”無”は希求していない。

老衰であれ病気であれ自殺であれ他殺であれ、普通に死ぬだけで十分満足である。

だからこそ、”生きている間に満たされることがなくても、死ねばきっと満足できる”という小さな希望が、現段階では私の胸にあるのだ。

しかし、私はある可能性を危惧している。

なにせ、今もまさに、私の自我は、自己愛性は、ナルシシズムの器は肥大し続けているのである。

これがもし、単に死ぬだけではたどり着けない領域に、真の無に、自分が最初から存在しなかった世界線に、つまり、何をどうしようが絶対にたどり着けない領域にまで肥大してしまったとしたら…。

そう、その時点で、私は真に絶望する。

”生きている間は、私は私を、ナルシシズムの器を満たせないだろう。それでも、死にさえすればそれも満たされる。死は誰に対しても必ず訪れるのだから、私もいつかは必ず満たされるときが来るだろう”という最後の希望が潰えてしまうことになる。

そうしたら、私にとってこの世界は真の地獄である。今の時点でも十分地獄だと思えるが、これがまだ序の口であることを、地獄の谷はもっとずっと深いであろうということを、私は肌身に感じて怯えている。

現時点では、私のナルシシズムは”ちょっと並外れ”くらいに留まっているので大丈夫そうである。

しかし、この醜い自我がこの先も現状を維持できる、あるいは先細りしていけるとはとても考えられない。

やはり私は、この地獄の谷の更に下へ、深淵へ堕ちていくしかないのであろう。

もしもそうなったら(たぶんそうなるので)、私はその状況をできる限り細やかに書き留めていきたいと思う。

私のように、底なしの地獄へ堕ちていくしか道のない人々と、私自身に向けて。

以上の文章は、私がどうしようもなくなって閉鎖病棟に保護入院していた頃、ノートに書き付けていた日記です。
どうしても眠れない夜、ベッドの上で、常夜灯の僅かな明かりだけを頼りにグシャグシャに書き殴っていたものです。
当時の私は色んな意味で八方塞がりで絶望的な状況でしたが、現在は、心身ともに少しずつ快方に向かいつつあり、退院して自宅療養しています。
精神の病気って、なかなか良くなるのは難しいし、万が一どれだけ良くなっていったとしても、完全に治ることって、多分ないのだろうと思っています。
一万分の一の確率でで”治った”といえる状態になったとしても、正確には、”治った”というより、”とりあえず一旦、影を潜めてくれた”のほうが適切でしょう。
きっと、周囲もあなたも、一生付き合っていかなければならない存在なのです。
それでも”きっと大丈夫”なのは、何度も何度も失敗していく中で、否応なしに私達は学んでいくから。自分の病気とうまく付き合えるようになっていくから。
病気と、面と向かって向き合えるようになっていくから。
だんだん、自分のことを許して、受け入れられるようになっていくから。
腸をえぐられて塩を塗られて縫合されるように痛かったのが、だんだん、無痛になっていくから。
もちろん、どれだけうまくやったとしてもそれなりの時間はかかってしまうけれど。
だからこそ、もしもあなたが辛いときには、周囲にできる限りの助けを求めて、自分がそのときできる限りのことをしたが最後、どうか、時が流れるのを、ただただじっと、ゆっくり待ってほしいのです。
時の流れはすべてを解決するわけではありませんが、大抵のことを解決してくれます。
それからもう一つだけ、あなたに伝えたいことがあります。あなたという人間にとって、きっと最も難しい行いであろうことを、無責任で傲慢でうぬぼれた意見だということを承知の上で言わせて頂きます。
どうか、自分のことを大切にしてください。
使い古された言葉ですが、ご自愛ください。
それが、あなたや周囲の人たちの、ささやかな幸せにつながります。
自分のことを大切にできない人は、周囲の人たちのことも大切にできないのですから。
これが、私が病気になって、いちばん身にしみて実感したことです。
どうか、あなたと、あなたの周囲のみなさんに、ささやかな、けれどとびっきり愛おしく美しい日々が訪れますように。
長い間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。
それでは、また。

元記事投稿日 – 2025年3月26日

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