この世界とは、何か。
ぼくは、はっきりいって只のぼくの幻想だと思う。
ぼくが見、聞き、考え、認識している世界は、すべてぼくがつくりだした幻想に過ぎない。
空に浮かぶ雲ひとつにしたって、ぼくが見ている雲と、君の見ている雲は違う。
例えば、ぼくが雲と思っているものを、君は綿菓子だと思っているかもしれない。
逆に、君が雲と思っているものを、ぼくは埃だと思っているのかもしれない。
つまり、ぼくが認識し、世界だと思っているものは、あくまでも、ぼくがひとり、勝手に描いている幻想に過ぎない。
本来の世界には、ぼく以外には何も存在しない。ぼく以外は、完全な虚無だ。
それこそが、本来の世界の姿なのだ。
しかも、そのぼくの姿さえも、ぼくの幻想によってかき消されていて、けっして見えることはない。
ぼくが認識している(と錯覚している)すべてのものは、虚構なんだ。
だからこそぼくは、本当に孤独なんだ。
この世界は無限に広がる虚無でしかなくて、その何処かにただひとり、ぽつんとぼくが立っているだけ。
だからこそ、この世界のものが、すべてぼくがひとりで作り出したものだからこそ、ぼくの幻想は、ぼくに委ねられている。
ぼくの幻想は、独り立ちなんて絶対にできない。
ぼくがあってこそ、存在出来るものだから。
体の力をすっかり抜いて、ぼくに寄りかかっている。
だから、ぼくの幻想は、これからも、ぼくが作っていけるんだ。
逆に、ぼく以外の誰にも、ぼくの幻想を作っていくことはできない。
ぼくは、この世界の支配者だ。
周囲の人間共には、ぼくの幻想に干渉する資格はない。
ぼくは、ぼくの幻想の支配者だ。
だから、ぼくが見、聞き、考え、認識している世界は、ぼくの指一本で、簡単に変えていけるんだ。
世界を変えるのは、陳腐な虚構である周囲ではない。
ぼくなんだ。
補足(2025年8月24日深夜):この文章は、まだ私がこのサイトの前身の前身であるブログすら立ち上げていないころに書いた、本当に自分のためだけの日記です。当時はまだ自分のセクシュアリティを受け容れきれていなかったので、一人称が未だぼく(現在は私)になっています。すでに私の最近の文章も読んでくださった方には、文章そのものの内容だけでなく、このような現在の私との相違、当時から現在に至るまでの私の変化も楽しんでいただけたらと思います。