ぼくは、異端だ。基地外だ。
物心がついたときから、ほかの人々とは明らかに違った。
だからぼくは、一人の人間として扱われたことが、一度も無い。
ある人は気持ちの悪い化け物として、またある人はただの物体として、ぼくを扱った。
いずれにしても、ぼくに感情があることすら、思い当たらないみたいだった。
ぼくにとってそれは、あまりにも悲しくて、悔しくて、屈辱的なことだった
自分という存在をあからさまに侮辱されて、だれがそう感じずにいられようか。
毎日、胸が張り裂けそうだった。
自分だけがどこか別の星から連れて来られた異星人であるような、そんな疎外感が、ぼくの心の底にへばり付いて離れたことはない。
人間としての飢餓感と欠落感に、苛まれなかった日々はない。
自分の尊厳を踏みにじる、自分以外のすべての人々を憎むと同時に、そんな人々が守ってくれないと、そんな人々が与える餌を食べないと生きていけない自分自身にも嫌気がさして、自分が「怪物」であることを呪う毎日だった。
けれど、それでもなお、ぼくの心は渇望し続けていた。
人間として扱われることを。
人間として、自分の価値を確認することを。
自分を肯定したかった。
人間にすらなりきれない、醜い怪物の自分を、肯定したかった。
自分は生きていてもいいと、胸を張って、一度でいいから思いたかった。
ぼくは、焦りと不安と恐怖に押しつぶされそうだった
これから一生、怪物として置き去りにされ、朽ち果てていくのではないか、と。
それは、せつない。せつなすぎる。
そんなのは、いやだった。
だから、たまたま目の前にあった勉強に、ひたすらふけった。
あれは、ぼくのすべてをかけた戦いだった。
勉強で成果が出れば、人々も、僕をちゃんと見てくれるようになると思ったから。
せめて、僕を一人の人間として扱ってくれるようになると思ったから。
それからのぼくは、薬物中毒者のように、勉強にのめりこんだ。
自分の価値を、確かめるために。
それ以外に、選択肢が思い浮かばなかった。
自分の身体に限界が来ていることにすら気づかずに。
結局、ぼくの願いは、叶うことはなかった。
人々は、勉強で尋常でない成果をあげたぼくに、たしかに振り向いた。
ぼくを褒めたたえた。
ぼくを神格化した。
けれど、ぼくを一人の人間として見ることは、一度もなかった。
「優等生」として神棚に乱雑に置き、柏手をたたくのみであった。
まるで、「これで満足だろう」とでも言うように。
違う。
そうじゃない、
違うんだよ。
ぼくは、人間として、扱われたいだけなのに。
なんで。どうして。
ぼくは、ここに来て、人々に抱いていた淡い期待が、自分のつくりだした幻想に過ぎなかったことに気づいた。
ぼくはこれまで、何度人々に幻想を抱いて、何度裏切られてきただろう。
何度、痛くて、みじめで、悔しい思いをしただろう。
それなのになお、人々に幻想を抱いていた自分が、抱かずにはいられなかった愚かで醜い自分が、意地汚い自分が、この上なく嫌いになった。
自分なんか死んでしまえばいいと、本気で思った。
泣いた。
四六時中、泣き続けた。
涙がすべて流れ出て、一滴も残らなくなるまで、泣いた。
もはや、流れ出るものはなくなった。
悲しみも、怒りも、恥ずかしさも、悔しさも、何も湧きあがらなくなった。
頭が、働くことをやめた。
動いているのは、心臓だけだ。
ぼくは、からっぽだ。
身体を切り開いても、中には、なにもない。
もう、なにも、なんにも、残されてはいないんだ。
だから、ぼくはずっと、ここにいる。
怪物が怪物になった理由は、それぞれだ。
ぼくのように、もとから醜かった者もいれば、周囲から抑圧され、自分をずっと抑え続け、ついには抑えきれなくなったものが爆発して、もとは醜くなかったのが醜くなってしまった者もいる。
いずれにせよ、この人間社会の中では、怪物はとても生き辛い。
そんなことは、ずっと前からわかっていた。
けれど、それでも、ぼくたちは、怪物にならざるを得なかった。
そうでもしなければ、とても生きていけなかったのだ。
補足(2025年8月24日深夜):この文章は、まだ私がこのサイトの前身の前身であるブログすら立ち上げていないころに書いた、本当に自分のためだけの日記です。当時はまだ自分のセクシュアリティを受け容れきれていなかったので、一人称が未だぼく(現在は私)になっています。すでに私の最近の文章も読んでくださった方には、文章そのものの内容だけでなく、このような現在の私との相違、当時から現在に至るまでの私の変化も楽しんでいただけたらと思います。