ローニーのその後
ローニー・アローンのアナザー・ライン(ifストーリー)。ローニーが永遠の放浪者となった、もしものお話。
鬼となったローニー
かつて、ローニーの血が滴った土からは鈴蘭が咲いていたという。それはまさに、当時のローニーがまだ凡庸な存在であり、孤立を恐れる者であり、人間であったことの証明である。非凡故に孤立を恐れ、理解者や救済者を求めていた。”幸せなんて必要ない”と自分を欺きながらも、実際には人間としての幸せをこれ以上無いほど痛く欲していたのである。帰る家が無くとも、当時の彼には還る処があったのだ。それは、己を常に強姦するという彼の大きな犠牲の上に迎合していたこの世界であった。
その後、紆余曲折あって彼は鬼となった。自らの分身であったクマのぬいぐるみを赦し、受け入れたのだ。それは、彼が己を強姦しなくなったこと、過去の自分と和解したことを意味する。彼に接吻されたその瞬間、クマのぬいぐるみはその存在意義を失い、塵に分解され跡形もなく消滅した。分解されるクマのぬいぐるみは、無表情にもかかわらず、どこか恍惚として見えた。
ローニーが自分と和解するに至ったのは、決して彼が悟りを開いて賢者になったからでは無い。どこまで行こうが、彼は骨の髄まで愚者である。それなのに彼が自らを開放できた(結果的に賢い選択をするに至った)のは、長く続いた殺し合いにも気が済んだからである。
そう、私達はいつか必ず気が済むのだ。それがどんなに根深い愛憎で、永遠に続くものに思えたとしても。
どんなに果てなく思われる波にも、必ず終わりは訪れる。それは、どうしようもなく肥大化した自意識を抱えた我々に備え付けられたひとつの機能、ある種の破壊防止装置である。どんなに強い執着もいずれは消えゆく。そうして新しいものが見えてくる。だからこそ、私達は前に進むことができるのだ。
そうしてローニーは人間を辞めた。彼は、己に対する強姦によって自らの孤独を束の間癒やすことを辞め、自らの孤独を受け容れることで鬼となった。鬼とは異形の者である。非凡のものである。
孤立を恐れぬことこそ非凡の証明である。何故なら人々は群れることによって自身の「凡」を確認し、そこに安住しようとするからだ。「鬼」とは自ら「安住の地」を捨てた者、永遠の異端者であり放浪者となることを決めた者だ。鬼には「還る処」が無い。彼が死んだその瞬間、彼の体は塵に分解され、次の瞬間にはその塵すら跡形もなく消えている事だろう。腐り土に還ることすら鬼には許されない。それは、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する場所も無い」と言ったキリストと同じ孤独であり、同じ超越である。そしてまた、自ら家を捨て家族を捨てた仏陀とも。
彼が遂に異形の己(クマのぬいぐるみに反映されていた幼い(本来の)自分)を赦し受け入れた時、人間であることを捨て鬼となったその時、世界中に咲き乱れていた幸福の象徴は瞬時に萎び、塵となり消えたという。腐ることすら、土に還ることすらなかったのだ。
これが、”ローニー・アローン”という一連の概念にとって、唯一点と点が途切れた瞬間であった。
____初稿:25,07,02 その後数度改稿
救済の日
in the process of being written…
ローニーの変遷

種族:人間 誕生/本質は鬼
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種族:人間 無垢だった時代/本質は鬼
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自らの異形性、本質を自覚するも、受け入れられない。人間であろうとする
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種族:人間(亡者) 自分殺しの時代①/この頃から鬼になりかけていた、ある意味鬼だった。他者の目にはじゅうぶん鬼に見えていた
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種族:人間(亡者と鬼の狭間) 自分殺しの時代②/一人になる
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種族:鬼 クマのぬいぐるみを抹消し、遂に鬼の自分を受け入れる/完全な鬼になる、本来の自分に回帰
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種族:菩薩 救済の日 ローニーは言葉となりて永遠に存在し、この時点で世界と一体化する。鬼として生きたローニーの生き様が、かつての彼と同じように苦しんでいた人々を救った。それこそがローニーにとっての救いになった
____初稿:25,07,02 その後数度改稿
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