夢の中の「俺」は、現実の「私」とは少し違っていた。
頼りなく、臆病で、女々しい――それが現実の私だった。 けれど、夢の中の「俺」はもっと普通で、もっと男らしかった。 それが憧れだったのか、恐怖だったのか、その両方だったのか――自分でも分からない。 「私自身」でありながら「私ではない」誰かだった。ただ、それだけは確かだ。
夢の中で、俺は戦争のただ中にいた。
だがそこには、戦争の実感がなかった。 銃声も、血の匂いも、叫び声もない。 ただ、静かで、冷たく、乾いた風が吹いていた。
戦場は無音だった。 透明な狂気と、乾いた静寂だけが、世界を支配していた。
『これは、人類最後の戦争だ』
誰に言われたわけでもない。最初から知っていた。 人類という怪物が、自らを食い尽くすために用意した、壮大な自殺の儀式だった。
空には未来的な乗り物が音もなく飛び交い、地には無数の兵士たちが、機械のように歩いていた。 けれど、それらはどれも、戦争というにはあまりに無機質で、空虚だった。
どんなに巨大な兵器も、輝かしい技術も、ただの飾りだった。 攻撃手段は、すべての人間に平等に与えられた拳銃一丁。 どれほど敵を追い詰めても、最期は必ず、自らの手で相手を殺さねばならなかった。
人々は二つの陣営に分かれ、俺はその一方に属していた。 撃ち、移動し、また撃つ。ただそれだけの日々。 怒りも悲しみも後悔もない。誰もが、感情を捨てていた。
俺一人を除いて。
俺だけが、この世界に違和感を覚えていた。 この戦争に迷い込んだ異物――俺は、異邦人だった。
そんな俺にとって、唯一の希望があった。 かつてインターネット越しに言葉を交わしたことがある、彼の存在だった。
夢の中でも彼とは一度も会ったことがなかった。 ただ、あのころ交わした短い言葉の数々が、自己が崩れかけていた俺を、何度も救ってくれた。
『僕は死にたいわけじゃない。ただ、君と一緒に、生きてみたいんだ。』
それだけのやり取りだったのに、不思議と分かっていた。 彼もこの世界にいる。俺と同じ陣営に属し、そして同じように、この世界に違和感を覚えていると。
彼の存在を思うだけで、無感情な世界に、たったひとつの感情が芽生えた。
――希望だ。
彼に会いたい。 会えたら、この世界からふたりで逃げよう。 それが無理なら、ふたりで死のう。 それでいい。 それで、いいんだ。
そしてある日、戦争は終わった。
俺たちの側が勝ったのだという。 だが、誰も喜ばなかった。 この勝利すら、人類滅亡の序章にすぎなかった。 いずれ、俺たち自身が、互いを殺し始めるだろう。
雪が降っていた。 白いのに、寒さのない雪だった。 音もなく、ただゆっくりと世界が死んでいく。
雪山の中のロッジに、俺はたどり着いた。 人影はまばら。誰もが無表情で、まるで石像のようだった。
しかし、ただ一人だけが、微笑んでいた。
彼だった。
俺も、自然と微笑み返した。 胸の奥から、何かが込み上げてくる。
ようやく――会えた。
彼は、ゆっくりと俺に向かって歩き出した。
その瞬間だった。
彼は崩れ落ちた。 血が、静かに床に広がっていく。 身体に触れる前に、その温もりは失われていた。
何も言えなかった。 喉が張り裂けそうだった。 心が、叫んでいた。
振り返ると、ロッジの入り口に、一人の敵兵が立っていた。 たまたま生き残っていた、最後の一人だった。
俺は、反射的に両手を上げた。
撃たれた彼のもとに、駆け寄れなかった。 いや――駆け寄らなかった。
なぜか?
簡単だ。俺は、自分を守った。 彼よりも、自分の命を選んだのだ。
その事実が、これまで経験してきたどんな出来事よりも俺の心を貫いた。
これまで、俺は「自分は周囲と違う」と思っていた。 無感情な群衆とは違い、自分には「心」があると。 俺は、群衆共を見下していた。 傲っていたのだ。
だが――
彼を見殺しにした俺と、心を持たない群衆に、どれほどの違いがある?
むしろ、心なき群衆の方が誠実ではないか。 愚劣な欲望すら持たず、ただ運命に従っていた分だけ。
本来なら、俺は泣き叫び、彼に駆け寄って、一緒に撃たれて死ぬべきだった。 それくらいの誠実さを、示すべきだった。
本当は、好きだったのに。 本当は、彼のことが、ずっと好きだったのに。
それすらできなかった俺は、ただの卑怯者だ。
醜い自我だけを抱えたまま――
俺は、本当の意味で、たった一人になった。
――気づけば、目を覚ましていた。 クロス張りの天井、カーテン越しにうっすら差し込む灰色の光、汗に濡れたパジャマの、ぐっしょりと濡れた感触。
それらすべてが、やけに現実的で、やけに空虚だった。 うっすらと、涙が滲んだ。
息をするのが苦しかった。 夢だったのだと、頭では分かっているのに、胸の奥には、何か鋭利なものが突き刺さったままだった。